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 実は今月で作家としては七周年を迎える。というか、迎えていた。今月の十日のことである。公式サイトにはなにも書かれていなかったので少々寂しい。まぁそんな冗談はさておいて、もう七年も経ってしまった。寿命が七十歳なら人生の十分の一だし、中学生は成人式を済ましてしまうし、『リアル』は七冊ぐらい出ると思う。今年の秋も楽しみだ。
 ということで七周年記念として、思い出せる範囲で少し振り返ってみることにした。
 正直、七周年の記念でなにか小説書こうかなと思っていたが、特に思いつかなかったのだ。


 当たり前かもしれないが、今の私ともっとも別人なのは初年度の私である。初々しい。なんと清新な若者であろうか。当時の私は髪もまだ短く、ふざけたやつに思われないようにと和服以外の格好で打ち合わせに出向いていたのである。誰だこいつは。
 東京はお茶の水の出版社に初めて呼ばれたときのことはよく覚えている。恐らく一生忘れられないだろう。私は約束の時間を盛大に遅刻したのだ。二時間くらい遅れただろうか。
 といっても私に責任があるわけではない(と思う)。その日、新幹線で人身事故が遭って大幅遅延が起きたのだ。これでは私にもどうしようもない。結果、一時間半は遅れて到着した品川で下りてタクシーに乗り、お茶の水まで行ってもらったら四千円近く取られたのを覚えている。
 そうして初顔あわせとなったのは担当編集のM氏とOさん。どちらも人のことを『普通やね』と評し、『あんな本書くからどんなやつが来るかと思った』と安堵するように笑っていた。
 今だったらそのご期待に応えて普通でないことをその場で始めただろうが、当時の純朴な田舎少年である私は期待外れと思われた気がして、酷く申し訳ない気持ちになっていた。なんていいやつなのだろう。誰か彼に大賞を贈呈してあげてほしい。
 その後は打ち合わせが進んで、デビュー作は完全新作で行く方向に決まった。結果的に行かなかったことは皆様ご存じと思うが、理由は非常に簡単でその新作がクソつまらなかったのだ。どんな話だったかもほとんど覚えていないが、犯人が両足をぶった切ってタンスに隠れるというオチだけは覚えている。つまらなそうだ。
 そんなこんながあって結局、投稿作を手直しして出すことに決まった。この後どうなったかは皆様ご存じと思うが、七年前の六月、私はその猫の名前みたいなのが並ぶ題名を引っさげて小説家として歩み出したのである。タイトルを決めたのは編集のM氏だった。
 そのM氏だが、後年かたくなに否定しているのだが、私が処女作の売れ行きを聞いたとき『いやぁ実はあんまり売れてないんです』と教えてくれたことがある。『僕そんなこと言ってませんよ!』とか今になって言っているが、人間つい口が滑ることはある。そうか売れていないのかとちょっとがっくり来た。
 しかし今思うと大変に運が良かったのだが、当時は世間的にそういう、ちょいと病んだ女の子のブーム全盛期だったらしい。そういう女の子を特集した雑誌にも私の処女作が掲載されて、あのあたりから一気に売れ始めた。週一で重版がかかり、無職ですと書かされて口座を作った銀行は手のひらを返して資産運用どうですかと電話をかけてきた。驚きである。そして、ラッキーと思った。これで就職活動しなくていいな! と大学生でもあった私は歓喜した。
 あと驚いたといえば初版にも驚いた。私が想像していた初版の五倍は刷ったのだ。といっても私の想像が小さすぎたのもある。そんな冊数じゃあ売ってもマイナスになっちゃいますよと笑われて、あぁそうなのかとそのとき一つ賢くなった。もし売れなかったら全冊引き取ってピラミッドを作らなければいけないのかと尋ねたらしなくていいと言われたので安心した。
 今のところ、担当編集の言うとおりに著作ピラミッドは建っていない。
 それもこれも購入してくださった読者の皆様のお陰である。
 私の最初に出した本を手に取ってくれた人たち、今更だけどありがとう。もう私の本を読むような歳ではなくなってしまったかもしれないし、興味もないかもしれないけれど、もしかしたら読み続けてくれる人がいるんじゃないか。そう思い、感謝を示したくて今尚、作家を続けている。ということを素面でも言えるのが初年度の私であり、今はこんなことを、面と向かう相手がいなくて文面であっても恥ずかしがる。消そうか少し迷っているが、行数稼ぎになるのでそのまま残しておくことにした。
 デビューしてから二ヶ月ぐらいの間、両親は本屋の前を通りかかる度に寄り道して平台のそれを他作家の本の上にてきぱき載せていた。母方の祖母はデビュー作をamazonで十冊買ってくれた。読んでみたら宇宙人の文章みたいだなんて言われた。その祖母もそれから数年後に亡くなった。誇りに思っていたわけではないだろうけど、亡くなる前に作家になったことを告げられたのはよかったと、思う。
 デビューしてから暫くして、恐らく本が売れまくったからだろうけどご飯奢ってあげますと東京に呼び出された。イラストを担当してくれた左さんも呼ぶという。おぉすげぇとなった。
 雑誌やゲームに名前の載る人と出会うなんて凄いなぁと、芸能人に会って緊張する田舎少年の如き私が受けた左さんの第一印象は『ちょっと古田に似ている』だった。なぜそう思ったかというと、眼鏡が似ていた。今は時々行く焼き肉屋のおにいちゃんに似てるなぁと思う。この人も眼鏡をかけている。そして今の左さんが眼鏡をかけているかは知らないのであった。
 当時は編集長だったS氏や担当編集に連れられて、行った先は居酒屋だった。そこで左さんは確か子持ち昆布の串揚げというものが美味しい、大好きということで頼んで、私たちも一緒に食べることになったのを覚えている。あと酒の席で、イラストについてプロっぽい見解を丁寧に語っている姿を見て『プロっぽいぞ!』と思った。私は小説についてプロっぽいことを語ることができないので、なんだか憧れてしまった。ちなみに今も特に語ることはない。
 小説を書く技術というものは存在するのだろうか? 未だに意識して実践したことがない。私は罫線だって引けないし、人差し指でしかキーボードを打てない人間なのだ。七年経っても分からないが、あと何年か経って三十歳になれば、少しは見えるものが変わって分かるようになるのかもしれない。というわけで十周年に期待である。