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『便宜上、私が生活する場所を一階とする。地下にあるので表現としては不適切だが、個人の記録なのだから分かりやすさを重視する。その一階から上へと続く、螺旋状の階段の扉が開いている日があった。テストが始まった日の夜だ。偶然なのか、それとも仕組まれているのかは分からない。だが脱走もあり得る以上、偶然というか、不備はあり得ないだろう』
『私は上へ行ってみることにした。私たちから見ての二階にはBクラス、Aクラスの人間が生活していると聞いた。彼らもテスト中であるなら穏便に接触することは難しいのかもしれないが、出会えたのなら聞いてみたいことがいくつもある。いくつかの答えは得られるはずだ』

 

「金の代わりに物を? うんまぁ、相手に交渉して許可取ればアリじゃね?」
 夕飯時が終わって部屋に戻ろうとしていた夏美に案内を申し出ると、二つ返事で頷いてくれた。それともう一つの確認を取ると、そちらにも自信はなさそうだが頷き、安心する。
「今なら娯楽室でやってるよ。でも今日がバクチの日だってよく知ってたね」
「食堂で噂話を聞いた」
 昨日、たんまりと食料を摂取したがそれも次の日の夜になると消化しきったようで、相変わらず空腹が続いている。そうなると聴覚が鋭敏になり、喧噪の中での雑談も意識せずに耳に入ってくる。今日が賭け事で盛り上がる日だという話も、その中の一つにあった。渡りに船というやつである。早速、夏美に案内してもらう気になった。
 廊下で立ったままのぼくと夏美を、数人の女子が追い抜いていく。ぼくの左腕の状態を見て目をギョッとさせるが、話しかけてくることはなかった。これぐらいの傷なら、『テスト』終了後には見慣れたものかもしれない。現に食堂にも何人か、鼻の潰れたやつがいた。ぼく以外にも鼻を潰すのが得意なやつはいるみたいだ。案外、ぼくは普通なのかもしれない。
 それはともかく、大金を得る必要があった。主に生活の安定と、携帯電話のメール日記を確認するために。
「でもあんた、なんか持ってるの?」
「ある」
「ふぅん。テストのときにご活躍だったのかね」
 夏美が思わせぶりに目を細めて、ぼくの顔を窺う。ぼくはそれに応えず、壁の方を向く。
「しっかし金がないからギャンブルって、典型的な破滅のパターンじゃね?」
「真っ当に働くことはしばらくできない。だから、楽をして稼ぐ方法が必要だ」
 やっと微かに動くようになった左腕を、見せつけるように掲げる。ぼくの左腕は何カ所も、巨大な獣に噛みつかれたように穴が空いて、出血が渦を描きながら巻き起こった跡があった。風呂に入るお金もないので、汚れはそのままだ。触れると痛むので、血を擦り取ることもできない。乾いた血痕が粉となって、ぱらぱらと舞い落ちるのを待つだけだ。
 傷跡が醜いからか、夏美がしかめ面となる。そのまま、こめかみに指の先を添えた。
「あーなんつった、名前奪ったナントカくん」
「これ」
 名札を指差す。荒間優。そうそれと、夏美が一瞥して頷く。
「そいつと仲間にでもやられたの? あんたなら返り討ちにしそうだけどさぁ」
「違う。これは……」
 あのとき。
 暗闇の中、ぼくは扉が開いていることを確認したあと、二階に上がった。
「………………………………………」
 そしてこの傷をこさえながらも帰ってきて、テストの終わりを迎えた。今は恐らく、その翌日に当たる。二階の現状を目撃したぼくに対して、特別に処置が下る様子はない。記憶が消されることも覚悟していたが、どうやら個人で閲見するなら問題ないようだった。
 ただしこれを口外してこの階の人間にそれを広めるとどうなるかは、想像に難くない。
だから二階に行ったこと、そしてそこで見たものについては夏美に伏せてある。他の人にも話す気はない。話して信じてもらえるとは思えなかったし、なにより口の軽さが破滅を招くこともあり得る。ぼくは今の記憶と人格をまだ失う気はなかった。
 あんな面白そうなものを忘れるのはあまりに勿体ない。
「釘が刺さった」
「はぁ?」
「嘘だ。秘密にしたいから言ってみた」
 すぐバレた気がしたので嘘だと白状した。夏美はずっこけるように前のめりになって、膝に手を突く。なぜか今ひとつ分からないが、呆れられてしまったらしい。
「なんなの、あんたのテンポ。取り敢えずアホなのは分かったけどさ」
「ぼくはアホなのか?」
「そういうことを確認するあたりがね。よし、ついておいで」
 夏美が歩き出しながら手招きする。だがぼくは手ぶらなので、すぐには行けない。
「賭けるものを持っていかないといけない。すぐ持ってくる」
 そう断りを入れて廊下を走った。自分の部屋に戻って、備えつけの机を動かす。金庫や鍵つきの引き出しもないので、机の裏側の影にそれを隠すしかなかった。六つほどあるが、全部持っていくことにする。左手に全部握りこむことができたので、そのまま走って夏美のもとへ向かった。夏美は腕を組んだまま、律儀にもその場で待っていてくれた。
「なんにも持っているように見えないんですが」
「大丈夫。行こう」
 握りこぶしを掲げてから移動を促す。夏美はぼくの左手を一瞥した後、先頭に立った。
 廊下から中央のホールを経由する際、螺旋状の階段を一瞥する。多分、今日は扉も開いていないのだろう。普段から開いていたらもっと大騒ぎになっているはずだ。……いや、逆かもしれない。騒ぐ前に全滅させられるかも、と腕の傷を見ながら想像してしまう。