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1-1『ちょっと無敵な物語』

 

 ぼくたちは自分のことをヒーローかなにかだと考えているけれど、相手からすればただの小生意気なクソガキなんだろう。その証拠に、手入れの滞っているしょぼくれた街路樹が並ぶ道を駆けるぼくたちを追いかけてくる大人は歯ぐきをむき出しにしている。あれはぼくらの熱狂的なファンでも、英雄の軌跡を尊敬と共に追いかける一般市民の顔でもない。明らかに怒っている。六月の梅雨の湿気を吸いこんで、白い煙でも吐き出しそうな憤怒と熱に塗れたベージュ色のオッサンが先頭を走る。ぼくらは全力で逃げながらも時々振り返り、オッサンの顔を面白がる。他のやつは知らないけどぼくは、その顔が楽しみでこうして逃げているんだ。
 海は遠く、川の泥臭い匂いが蔓延する淀んだ町並みと高速ですれ違う。雨の匂いと似て、だけどそこに藻の緑色が混じったような独特の空気が頬をすり抜ける。粘ついた痰と鼻水の混じったようなものが気体となって、鼻の奥にスッと入り込んでくるみたいだ。気味悪く、生まれた瞬間から、いや母さんのお腹の中にいる間からずっと側にあるその空気に、未だ馴染めない。
 ……あ、それはともかく逃亡真っ最中だった。
 左手に広がっているファミレスの駐車場に、先頭を駆けるリーダーこと、『スーパー』が舵を切るように曲がっていく。その後ろに続いていくのがぼくとキタローだ。夢中で逃げていると自然、体力のある順に整列して走ることになる。
アスファルトを蹴る反発でみんなの身体の跳ねが大きくなる。追いかけてくるベージュのオッサンの怒声も揺れ幅が酷くなる。追い駆けっこで、先に体力切れを起こすのはいつだって大人だ。やっぱり大人になるっていうのは、ぼくの家で働くおねーさんが言うように身体が山の上から転げ落ちていくようなものかも知れない。大人に成長した人間は、退化するそうだ。
じゃあ、なんの為にぼくたちは育つんだろう。
 最後尾に陣取るキタローが振り返り、人差し指と薬指で挟んだパチンコ玉を中指で弾く。バチィ、と金属と爪がぶつかり合う生々しい音も同時に弾けた。キタローの手から、木の枝を蹴る鳥のように勢いよく飛び立つ銀色の小粒な玉。ベージュのオッサンめがけて一直線。
 ぼくは振り返り、パチンコ玉の結末を見届けようと目をこらす。
 ひぃこらと息切れを起こしていながらも真っ直ぐぼくたちに邁進してきていたオッサンの鼻っ面と銀玉がバッティングする寸前、その突き出た腹が踊る。ぼくらを追いかけることにも慣れたオッサンはパチンコ玉の襲来を経験から予測していたのだ。けれどその唐突な回避の運動と体力不足が化学反応を起こし、両足がもつれて駐車場に座りこんでしまう。すとん、と膝から力が抜けてがっくりとへたり込んでしまった。オッサン本人も自分の足腰がそんなに綺麗に折り畳まれてしまうのが意外だったみたいで、肩で息をしながら惚けた顔でぼくたちを見送っている。
 ベージュのオッサンが座りこんでしまったことで、ぼくたちを追っていた数人のオッサンまで釣られるように足を止めてしまう。そうやって大人が動かない間にぼくたちは駐車場から飛び出して、市街地の中央の小高い場所にある公園を走り去り、田んぼのめだつ田舎道の方へと抜けきっていった。先頭を走っているスーパーの足が止まるまで、ぼくたちもその後に続く。
 勝った、という気持ちに今日も溢れての疾走。梅雨の真っ直中で空気がべとついているから、爽快感は薄い。早く梅雨明けして夏になって、休みが来ればいいのに。ぼくはそんな思いに突き動かされて、分厚い雲の向こうまで走り出したかった。流れ落ちてくる汗が目に入り、少しだけ足の動きが鈍る。指で乱暴に目もとを擦ってから、もう一度顔を上げて足を振り上げる。
 ぼくたちは毎日、敵と戦っている。
 ぼくの右手には赤銅色と綻びのめだつ、鉄パイプ。真ん中付近で左右が折り重なるように折れて、握る度に手のひらに錆がこびりつく。『夢売り場』にて五十円で購入したそれが、ぼくのこの町で生きるための武器だった。……なんて言い切れるのは、いつになることやら。ぼくはまだこの鉄パイプで、一度もだれかを叩いたことなんかない。
 そこまで本格的な『敵』は、この町にまだ現れていなかった。
 だけど、ヒーローになれる分の敵はいつだって町を歩いている。
 都合いいことに、ぼくたちの暮らす町にはそこそこの敵が大勢いた。
 だからヒーローになるなんて、簡単なことだった。
 何度でも、何度でも。

 

 最初からなにもない場所を寂れたと表現はできないらしい。見渡す限りの田んぼと豆粒みたいに動く登下校中の小学生しか存在しないという道が網目のように走っているこの土地を、ではぼくらはなんと呼べばいいのか。海も遠く、山も見当たらない。つまるところ、ド田舎だ。
 岐阜にほど近いけれど愛知県に分類されるぼくたちの町は、確かに去年までは単なるド田舎にすぎなかった。遠くに建てられた巨大なショッピングモールの中に、町民が丸ごと引っ越せそうなカソ地帯。ぼくが九歳になるまで続いていたそんな世界は今、二つの大きな手に外側から引っ張られている。大岡裁きやキベンの通用しない、待ったなしの引っ張り合いだ。
 過疎地を豊かな町に仕立てますよーと誘ってくる、外部の都会派スイシン連中。土地だけは異様に余っているから色々と開発してみよう、儲けられるといいねの姿勢を隠そうともしない。
 やつらが町に粉をかけるようになってから、田んぼが埋め立てられて分譲住宅へと次々に変わっていった。その住宅の買い取りを募集する看板はどこからも一向に抜けていかない。やつらが言うには、もっと便利な施設を作って環境を整えれば飛ぶように売れるらしい。
 そんなわけねーだろ、とぼくは思っていたりする。こんな田舎、いくら整えても人は来ない。
 そしてその都市開発をフモウ極まりないとして対抗する地元民が団結し、都会派スイシンに待ったをかけている。地元結束団と都会派スイシン連中。二つの勢力は建前として町の治安を守る自警団を、本音は相手側の粗探しのために自警団を立ち上げて日夜、町を回っている。