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 二ヶ月間の拘束という条件は多少尻込みしたが、丁度夏休みに入るところだったので思いきって応募してみた結果、俺が選ばれたのは日頃の行いの賜だろうか。コンビニの釣りを目的も不明瞭な募金箱に押し込んだだけで運気が上昇したのだとしたら、人生というのは存外に簡単なものかも知れない。無論、そんなことはまったく信じちゃあいない。
そのモニター募集は破格の見返りを約束していた。二ヶ月間こなせば、大学二年生の後期から卒業までの学費を支払えるほどだ。もし本当に支払ってくれれば、という話だが。
それも来週、そのバイトを始めることで明らかになるだろう。
大学からの帰り道、坂道の下で販売していたワラビ餅を摘んでいると汗が噴き出る。炎天下の下で冷たいものを食っても、口の中しか適温にならない。ワラビ餅を売る軽トラの荷台に背中を預けながら、滲む汗を拭う。首筋の汗が次々に流れて、シャツの襟を濡らした。
バイトの内容は二ヶ月間、相手側の指定したマンションの一室に住むだけ。ただし期間中はマンションからの外出を禁ずる上、多少の制限がかかる、とのことだ。なんだか、後で幾らでも条件を付け足すことの可能な、企業側に有利な緩さを感じる。
多少の制限というあたりが引っかかる。そもそもマンションで生活して金が貰えるというのは、どういうわけだ。新築マンションの住み心地でもリポートするのだろうか。その割に少々、金払いが景気よすぎる。絡む金が増えれば、俺の貧困な発想でも陰謀の匂いを想像せずにはいられない。ヤバイことに首を突っ込もうとしているのかもしれない。
しかしこちとら大学生。誘われてついていった先は楽しいサークル活動だと思ったらマルチ商法の手先にされかけたり、飛行サークルの作成した飛行機に乗りこんで三途の川まで試運転しかけたりと、面白いことに飢えている毎日だ。ヤバイこと大歓迎だった。
今日で前期試験も終わった。この後はアパートに帰って荷造りだ。食事に関しても相手が負担するということなので、衣服と日用雑貨だけ鞄に詰めこめばいい。娯楽用品は持ち込み禁止とされていた。なんだそりゃ、と思う条件である。退屈が待ち構えていそうで少し憂鬱だ。
ワラビ餅を食べ終えて、プラスチックのパックは近場のコンビニのゴミ箱にねじ込む。串や輪ゴムも分別せずに捨ててしまったが、暑いので反応する気も起こらない。一斉に坂を下りてきた学生の群れを掻き分けるようにして、地下鉄の入り口を目指す。
去年の夏休みは実家に帰ってソーメン食って、いいともと甲子園を見ているだけだった。
バイト漬けの今年の夏とどっちが有意義かは、茹だった頭で判断を下すことはできない。
金に捧げる夏休みに異論はないが、サークルの友人と海に行く約束を断ることになったのが、少々悔やまれた。

 

 そのマンションに名前はないと言われた。
それならばこちらで勝手につけようと思い、色々と考えてみた。メロンマンションなんてどうだろう。提案したら『声の網ですね』としっかり突っ込まれた。くそ、知ってたか。
却下されたので便宜上、『伊東マンション』と呼称する。結局だじゃれに落ち着いた。
地図に従って早朝からやってきた伊東マンションは、新設された壁の匂いでいっぱいだった。地味なカーキ色の壁と、外側に植えた新緑の匂いで噎せるようだった。蝉の鳴き声も四方から鳴り響き、夏の自然に溢れている。ついでに日差しも溢れすぎなので、早々に中へ入った。
外見は新設のマンションにすぎなかったが、中もまた一見では特徴がない。ホールというほど幅はなく、エレベーターに向けて直線の通路があるだけだ。日差しは遮っていても、籠もった蒸し暑さが顔に降りかかるようで、不快の度数はむしろ増加した。白と黒の積み重なるような色調の壁は目が疲れる。とにかく落ち着かないので、これまたさっさとエレベーターへ向かった。部屋に案内された後もこんな調子だったら、二ヶ月も大丈夫かね。不安になってきた。
「お待ち下さい」
エレベーターのボタンを押した直後、脇に立っていた爺さんに声をかけられた。初老で、愛想のない声だ。同時に聞き覚えがある。電話越しに要項を伝えて、俺の発案したマンション名を却下した老人は、目の前にいる枯れた木々のような男で間違いないようだった。
「一場怜司様ですね」
「いかにもその通りです」
 本名を呼ばれて頷くと、男も貯えた白いヒゲを縦に揺らす。髪は薄いが、ヒゲは樹林のように生い茂っている。触ってみたくなるが、初対面の爺さんのヒゲに対して無礼を働くような蛮勇は持ち合わせていない。ああ間違えた、初対面のヒゲの爺さんだ。主格はこっちだな。
「お部屋に案内します」
 到着したエレベーターに爺さんが乗りこむ。俺も続き、爺さんが六階を押した。
「やってきたのはあなたが最後です」
「みんなせっかちなんスね」
「あなたの家が一番遠いだけでしょう」
 爺さんは素っ気ない。見た目同様、言葉に脂がのっていなかった。俺も将来、こんなジジイになるんだよなぁと考えると憂鬱になる。死ぬことより、歳取ることの方が怖いよ。
六階に到着する。マンションの最上階らしく、エレベーターにそれ以上の階はない。外は窓のない廊下が奥に伸びて、隅には申し訳程度に観葉植物が飾られている。葉の端が黄色だった。

途中、通る扉には『6』とか『5』と印字されている。次は『4』なので、数字が非常にシンプルではあるが部屋の番号だろう。数字が『6』で終わっているのだから、六人いるのかな。
 あと、妙なものがあった。ホワイトボードだ。廊下の中央に置いてあるのだが、まだなにも書かれていない。青いペンと黒板拭きも用意されている。連絡事項でも書くのか? 「早くおいで下さい」 「へいへい」  爺さんに催促されて小走りで廊下の奥へ向かった。
俺が案内された部屋は『1』と扉に刻印されている。六つ並ぶ部屋の左端だ。