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 怠惰で、牙もなく、悪意のない、よわいいきもの。
 それでも許されて、生きていることに雅は幾ばくかの興味を抱いた。
 だから、岩谷カナにまた会ってみようと思ったのだった。


「今日からお前は雅だ。新城雅」
 帰ってきた兄が、部屋の隅で大人しくしていた妹に告げる。
 みやび、と妹は与えられた名前を反芻する。
「消えてしまった人間の名前だ。好きに使っても構わないだろう」
 それから兄は、雅の前にたくさんの本を並べる。
「お前は読み書きの練習をするんだ。学校には行けないから、自分で学ぶしかない」
「まなぶ……」
「賢くなるということだ」
 雅が手近に置かれた国語の教科書を手に取り、適当にページを開く。
 雅にはその中身が、訳の分からないものが連なっているようにしか見えない。
「なにこれ」
「ぼくはそんなことできなくても生きていけると思うが、お前には思ったより難しそうだ」
「どうして?」
「お前は人殺しに向いていない。ぼくの妹なのに、残念だ」
 言葉と裏腹に、兄は笑っていた。雅にはそれが理解できない。
 分かるのはいつものように、生きるために与えられたものの出所だけだった。
「これも取ってきたもの?」
「そうだよ」
「いいのかな」
「いいよ」
 兄は疑わない。
「そこに存在するというだけで全ては許されているんだ。逆に言えば、存在しなくなるということは何かに許されなかったということだな」
「兄さんが殺した人たちも許されなかったの?」
「勿論そうだよ」
 兄は一切の迷いもなく肯定する。雅は、重ねて問う。
「誰に?」
「ぼくが許さなかった」
 兄はそうやって、涼やかに微笑むのだった。


 兄は許されなくなり、世界から消えた。
 そして。
「私は……」
 誰に許されないのだろう、と雅は血に滲む思考を巡らせる。
 心当たりがありすぎて、どれが正解でも違いはないと思った。
 道路側から、自動車の走っていく音が聞こえる。町が動き出している。三人目を返り討ちにしてからどれほどの時間が経っただろう。次はなかなかやってこない。もう終わりなのか、と雅が期待もしないままそんなことを想像する。
 もし、このまま誰も来なくなったら。
 雅はまず、血を洗い流そうと思った。それから服を着替えて、酷くなった髪を整えて、化粧で顔色をごまかして、傷は諦めて、そして。
「あたためてほしいな……」
 彼女にそうお願いしようと、思った。
 言ったら、あのおかしな子はどんな行動を取るだろう。
 そんな姿を、雅が夢想する。
 起きながら夢を見ているように、願いは遠い。
 そうしているうちに、夢を破る者が現れる。
「開けろ! デトロイト市警だ!」
 うるさいのが来た。雅はのそりと、血で固まった前髪と共に頭を動かす。
 景気よくノックする音が傷に響く。やめろ、と血の味が混じった口を動かす。
「なんだ、開いてたわ」
 拍子抜けしたようにドアを開けて入ってきたのは、青い三角帽子をかぶった男だった。
 一目見て、ああ、と雅が諦めたように微笑む。
 男は、木曽川と呼ばれる殺し屋だった。名も通り、魔女などと称されることもある。
「よっ、生きてるね」
「なんとかね」
「ちょっと化粧が派手だな」
 木曽川がにやにやとしながら距離を遠慮なく詰めてくる。雅は動けない。
「右目が?」
「ああ、綺麗に入ったみたいで……多分、死んでる」
 額から続くように叩き切られたそれを、雅が軽く笑う。木曽川は「ふーん」と軽く流す。
「探すの苦労したぜ」
「結局見つかるならマンションに帰っておくべきだったよ」
 シャワーもあるし、と雅がまとわりつく不快感を訴える。違いない、と木曽川が顔をしかめる。