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「埃っぽいもんな、ここ」
「……よりによって次は君か。ここで君に殺されるとは、因果というやつかもしれないね」
「ん? あー、前もこんなことあったな……」
 木曽川が首筋を掻きながら、懐かしむようにゆっくりと室内を見回す。標的を前にして、あまりに堂々と。雅は目を絞るように細める。不意を突けるか、息を殺すようにしながら検討するものの、まるでなにも見えてこない。そもそも、両腕が既に機能していなかった。
 どの道万全でも、相手にはならない。目の前にいるのはそういった存在だった。
 兄の、人殺しに向いていないという言葉が今更、雅の中に蘇る。
 向いていないのに何人も殺して、きっと、それが許されなくなったのだろう。
「同業者が減るのは寂しいやね」
「嘘つけ」
 雅が息を弾ませながらせいいっぱい笑い飛ばす。
「とっても安心するね、狙われることが減るから」
 木曽川があっさりとセンチメンタルを覆す。それから、話は終わったとばかりに腕を動かす。
 雅はそれを見て、いよいよ終わるのだろうと思った。画面の向こうの景色でも見るように、他人事に。最後に見るものがこれか、と雅は少しだけ残念に思う。残念? と思考に振り向く。
 見たいものなんて、あっただろうか。
 なにかを思い出しそうになる。
 雅はそれを掴めそうで、しかし指が空を切るようなもどかしさを覚える。
 もう少し時間があれば。
 あれば、なんだろう?
 濁った答えが漂白する前に、木曽川の手が前へ出る。
「…………………………………」
 雅は口を半開きにしたまま、目の前の光景に戸惑う。
 木曽川の突き出した手に、雅が思い描くような凶器はなかった。
 素手を、柔らかく差し伸べてくる。
「……なんだい、それは」
「なんだもなにも、起きるのに手を貸してやろうという気遣いじゃないか」
 いらんのか、ん? と木曽川が腕を出したり引っ込めたりする。雅は息と血を少し吐く。
「疲れてるから、殺してから立たせてくれ」
「ふーん、そういうこと言っちゃう。ま、このまま帰ってもいいんだけどさー」
「……帰る?」
 ゴートゥーホーム、と木曽川が帽子を押さえながら入口へ翻る真似をする。
 止めなければ、本当にそのまま引き返していきそうな勢いの良さに雅が疑問を発する。
「きみ、何しに来たんだ?」
「様子見」
 木曽川が宣言通り、雅を露骨に凝視する。メンチ切っているとも言う。
「殺すために来たわけじゃねーから。本当にそのつもりなら黙ってやるし」
 本業の最中には口を開かない。木曽川が鉄則としていることであり、それを守っているからこそ自分は長年生きていると確信していた。そうした仕事の姿勢は珍しいものではないので、雅も納得はする。なぜ、様子など見に来たという疑問は残ったままだが。
 助けに来るような間柄ではなく、むしろ、雅は腕を切りつけられたこともある。
 木曽川が改まるように手を出すと、雅が白状した。
「腕が上がらないんだ」
「あら。じゃあ首持つか」
「引っこ抜けそうだよ……」
 木曽川が雅の両腕を見比べて、まだ傷の少ない左手首を取る。握りしめて、引っ張り、一気に立ち上がらせた。乱暴な動きに雅の傷口が一斉に噴火する。目の前に火花が何度も散った。
 皮肉にもその痛みのお陰で、雅の意識が汚泥から抜け出す。
 木曽川が手を離して、よろめいたものの、雅は自分の足だけで持ち直した。
 気づけば息は少し整い、額の出血は止まっていた。
 その様子を、木曽川が満足そうに見届ける。
「立てるくらいの元気はあるか。よし帰ろうっと」
「きみは……」
「あんたの様子を見てきてくれと頼まれたんだ。それ以上は知らん」
 それだけ言い捨てて、木曽川が事務所の入り口へ向かう。出る前に、事務所をゆっくりと眺める。そしてなにか思い出すように、軽く肩を揺すった。
 雅はそんな木曽川の背中を追う。
 生きて出るとは思いもしなかった部屋を離れて、当たり前のように廊下を歩く。
 風が頬の切り傷に触れる度、冷たい指先に触れられたように寒気が走った。
「頼まれたって……なんの話だい?」
 雅にはまるで心当たりがなかった。もう雅を助けようとする者はいないのだ。
「なんつった、えぇと……そうそう」
 木曽川がこめかみに指を当てて、記憶を引っ張り出す。
「岩谷カナ」
 予想もしていない名前が出て、雅の足が止まりそうになる。
「あの子があんたを助けてやってくれと頼んできた……あ、様子見てこいだった」
 木曽川がやや早口で訂正する。雅はそこにまで気を配る余裕がない。
「カナちゃんが」
 その名前を口にすると、雅は傷の痛みを忘れそうになる。