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 今年の春は寒い日が長々と続いていた。桜が満開になるのも遅くて、いつもは学生の入学式の頃には散ってしまうそれも未だ咲き誇り、ようやく訪れた陽気さを謳うようだった。
 が、そうした爛漫な景色に背を向けるように、俺たちは延々と並んでいる。この季節は毎年これがあるから鬱屈としてしまう。電車の定期券を購入するために、みどりの窓口に長蛇の列ができる。四月と九月、半年に一度は必ず訪れるこの行事は大学生になっても変わらない。
 いや、地下鉄の分を買わなくちゃいけないから余計に手間が増えてしまった。
 まだ電車に乗ってもいないのに、心だけが酔いそうなほど揺れていた。
 明日から大学生。だが始まりは、高校生と変わらない。社会人と学生の列が窓口の外まではみ出して、そこに並ぶ。俺たちの頭の上で電車はどんどん走っていくのに、新たなる始まりはお預け。家へ引き返したくなる。何度繰り返しても慣れないことってあるよな。
 大学の始業式の前に定期券を買っておく必要があった。当日に並んでいる時間はない。それを分かりながら長い春休みをぐだぐだと過ごし、後回し。気づけば明日には大学が始まるというところまで来て、ようやく腰を上げた。春休み最後の日は日曜日ということもあって、こんなことに時間をかけるのが勿体なく感じられた。休みすぎて、立っているだけで身体が重い。
 三十分どころか一時間くらい並んでいる。先に書いて握りしめている購入用紙が手汗でふやけそうだ。こうなると陽気がすぎるのも問題で、人混みの蒸し暑さと相まって苛立つ。
 あまりに嫌気が差して、つい、列の外へ一歩踏み出してしまう。そこからは止まることができなくて、身体もそれに付き合った。みどりの窓口のおねーさんを目の前にして、あと十分我慢すればいいのに、俺はそれに耐えきれなくなってもっとも愚かなことをしでかした。
 あっという間に隙間は埋められて、引き返すことはできなくなる。
 なーにやってんだ、と我ながら呆れる。そうこうしている間に、列がどんどんと伸びる。
 もう一回、これの尻にくっつかないといけないのか。
早速後悔して、その場から逃げ出した。しばらくは距離を置きたい。
 窓口から真っ直ぐ歩いて駅の二階から離れて、立体交差に出る。出た途端にねっとりと、生温い春の日差しに身体が包まれる。駅の向かい側にあるシティタワーに繋がっているこの歩道は、昼前の利用者は非常に少ない。夕方に都会の方から学生とリーマンが帰ってきて、ようやく流れができあがる。
 閑散とした道と、乱立しているだけで外装の老朽化が酷いビル群。ついでに金ぴか武将の象。駅だけ真新しくして、周囲との温度差を深めているその景色にも、穏やかな風が吹く。溜まっていた嫌気が虫干しされるように気持ちいい。室内で感じるのとは大違いだった。
 春はいい。なにもしなくても、なにか始まるような予感に包まれる。
 ふにゃふにゃの購入用紙を鼻息で弄りながら、手すりに寄りかかる。下を覗くと、駅前の広場から演奏が聞こえてきた。噴水広場の側に陣取り、ギターをかき鳴らしている女が汗だくになって熱唱している。俺が高校に通っていた頃から見かけた、町のちょっとした有名人だ。一度だけ地元の番組に取り上げられたこともある。
 最近は見なくなったと思ったけど、それは休日にしか歌わなくなったとか、そういう事情があるのかもしれない。前に見たときより伸びた髪を上で結んで、休まず演奏を続けている。
「よく続くよな。継続は力……になってねぇ気もするけど」
演奏、歌のどちらも取り立てて上手いようには思えない。進化している様子もない。通りかかる集団や噴水を目印に待ち合わせしている人は一瞥するだけで、それ以上の注目を集めることはない。足を止めて聞くやつなんて、よっぽどの暇人くらいだろう。つまり相手の都合を変えてしまうほどの演奏には程遠いわけだ。多分、音楽で大成することは一生ないだろう。
 救いはアレだ。かわいいし、若い女だから絵になる。だから許されている感があった。あんなことを俺や冴えない友人が始めたら、周りにとっては痛々しいだけだと思う。

「……あん?」
ギターをかき鳴らす女の横に看板がある。手作りっぽい、言ってしまえば安っぽい立て看板に目がいった。前はあんなものなかったが、パフォーマンスのつもりだろうか。目を凝らすと、『食堂』だの『ミソテキライス』だの見えてくる。手すりに身体を押しつけるように下を覗いて確かめると、『北本食堂』という墨で書かれた店名がはっきりと見えた。
「北本……って、あぁあそこか」