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『And Blue』


 鳥が、遠くを飛んでいた。
 見上げながら私は考える。遠いのは鳥か、それとも私なのか。
 立ち尽くしていると、風の走る音がする。絶え間なく駆けていくそれに、肩を押されて。
 時々、身体が翻りそうになる。
 風の強い日だった。
「なに見てるの?」
「鳥」
 答えると、彼女は隣で空に向けて目を細める。風に煽られた髪の繊細な踊りが美しい。
「どこにいるの?」
「あの辺を飛んでるよ」
 私が割と具体的に指差すと、彼女は素直にその周辺を目で追って。
 眩しくなって目を逸らしてから、柔らかく否定する。
「いないね」
「そっかー」
 私にしか見えないみたいだ。さして驚くことではなかった。
 前からそういうものは時々あって、これもその一つに過ぎない。
 ただ最近は、鳥をよく見る気がする。
 白い鳥が羽を動かすと、角度の都合か、空を吸い込んだように青く映る時がある。
 その羽と空が溶ける一瞬、また別の景色が見えるような気がした。
 ……でもやっぱりこれって危ない人なのかなぁ、と彼女の様子をちらり。
 目が合った彼女が困ったように笑う。
「やっぱり、変な人」
 彼女がそう微笑んで許してくれる度、私は、ああ、ここにいていいんだなぁと思うのだった。
 私にしか見えない鳥は今も遠くを飛んでいた。
 その青空の下で、私は静かに足を上げる。


『雅な椀・上』


「ししょー、荷物お持ちしましょうか!」
 後ろをちょこまかとついてくる弟子の提案に、師匠が振り返る。
 師匠は山ほどの荷物をぶら下げた両腕の重みを感じながら考える。
 落としていいものはあっただろうかと。
 いやそんな物、あるわけがないのだ。
「迷子にならないようついてきて」
「ははーっ」
 駅構内の人の流れに軽々弾かれる弟子が蛇行しながら追いかけてくるのを眺めて、師匠は溜息に似たものを漏らす。短身である弟子はすぐに人混みに埋もれるように見えなくなってしまうが、なんとかついてくるくらいはできるだろうと師匠が前に向き直る。
 ついてこられないなら置いていこうとも思った。
 この師弟が町に下りてきたのは二週間ぶりだった。
 彼女とその弟子は陶芸家だ。普段は山中に建てた小屋に住み着いて活動に勤しんでいる。望んで山の中で暮らしているわけではないが、他に家もなく、また師匠の方は人付き合いに煩わしさを感じるのもあって向いてはいるのだろうと考えていた。
 家も工房も両親が用意したものだが、その両親は既にいない。
 師匠は駅内を歩く中でまとわりつく蒸し暑さに、表情の変化こそ目を細める程度だがうんざりしてくる。六月の屋内は雨が降っていなくともどこからか湿気が入り込む。頬を常に生ぬるい手に撫でられているようで不快だった。周りに人が多ければ、尚更だ。
 駅の有料駐車場に車を停めて移動する最中、師匠がふと構内を振り返る。
 この駅で少々の騒ぎを起こしてからすでに、一年が経っていた。
 師匠はその頃を思い出そうとして、しかしなかなか記憶の形が定まらず、すぐに諦める。それよりも後ろからなかなか弟子が来ないことに溜息する。大した荷物も持っていないのになぜ遅いんだ。
 そんな二人の本日の目的は生活用品の買い出しと陶芸教室の講師、そして待ち合わせだった。
 講師を務める師匠はいつ買ったか覚えのない縞模様のシャツに下は作業時の短パンそのままで、その上から黄土色のエプロンをつけている。頭にはタオルを巻いて唇は乾き、化粧気などというものは一切なく細長い右目の下には汗で固まった土が軽く残っていた。
 以前の弟子はそうした格好を指摘して直させていたが、今の弟子はそうしたことにまるで頓着しない。結果、師匠の方も着の身着のまま町を歩くようになっていた。
 その弟子の方は、頭に髪留めの代わりのように『研修中』と書かれた名札をくっつけている。
 弟子の名は、岩谷カナと言った。
「ししょー、ご無沙汰であります」
 駅の中心の通りに出たところで、ようやくカナが追いついてくる。
 こちらは、格好自体は無難である。町に来るとき毎回同じ服であるという点を除けば。以前に友人に選んで貰った余所行きの服は一着しかなかった。師匠はカナを一瞥した後、数か月前にこれと姉妹であると勘違いされたことを思い出してから前を向いた。