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  二章『鉄クズ』

 七月もなかばを過ぎた土曜日の午後だった。
 シロが家から飛び出してきて、裸足で集落の路地を逃げまわっている。シロのオヤジが「このクソガキ、性根を入れかえてやる!」と、どなりながらシロを追いかけまわしていた。たびたびあることなのだが、今日は特にいきおいがすごかった。酔いがよくまわっているのだろうか。
 シロのオヤジは近所の子供から『百貫デブ』というあだ名をつけられるほどの巨体で、朝からよく酒を飲んではくだをまいていた。子供に小遣いもやれない貧乏人なのにどうしてお酒が買えるのだろうと、子供心に不思議だった。
 シロのオヤジが裸足でノッシノッシとシロのことを追いかけまわし、「まて!この野郎」と大声でどなりながら何とかどつこうとして腕を振りまわしている。
 近所のおばちゃん連中も家から飛びだしてきて「やめやー、そんなこと」と制止しようと近づくが、体の大きい『百貫デブ』を止められるはずもない。
 うちの母ちゃんも飛びだしてきて「シロ父ちゃん、やめやーそんなこと。おちついて!」と近づいて捕まえようとするが、触れることさえできずにオロオロとするばかりだ。
 オトナとはいえ、こういうときには女はあてにならない。集落の男たちは皆そとへ働きに出ていて誰もいない。子供たちで何とかするしかなかった。
 僕は家の陰で待ち伏せをして目の前を通過するシロに「倉庫に逃げこめー!」と叫んだ。そして、一拍おいて飛びだしてシロのオヤジの足にとびついた。そのまま引き倒そうとしたが、ドッジボールがけり飛ばされるように、いとも簡単に弾きとばされてしまった。それでもシロとオヤジの距離は少しひらいて、捕まりそうになっていたシロはなんとかクランクを抜けて走り去った。
 マサは、それを見計らってクランクを抜けたところの家の陰に先回りし、物干し竿を持って待ちかまえている。シロのオヤジが『どりゃー、おんどりゃー』とどなりながらクランクの家々のカベに凄い音を響かせて激突し、ブルドーザーのように進んでいく。そしてクランクを抜けようとした瞬間に、マサは物干し竿を踏切の遮断機の要領でオヤジの足もとに振り下ろした。
 オヤジはまんまと引っかかり『ドガーン』という地響きをさせて、地面にうつぶせになって何度かバウンドし倒れこんだ。
 倒れこんだまま首をひねってマサの顔を睨めつけながら「うげー、ぐぴっ。このクソガキ……あたっ、あたっ、あれっ、あ……た……あ……」と意識を遠退かせて、地面に沈みこんだ。やっと一件落着だ。集落にいつも通りの静けさがもどった。
 倒れた『百貫デブ』はそのままにほかっておいて、近所のおばちゃん連中もうちの母ちゃんも何ごともなかったように自分の家へと引っこんでいく。
 僕は、倉庫に向かって走りだしていたマサの背中を追って、そのあとに続いた。
 倉庫は集落と隣接していてセイちゃんの家の向こうにある。セイちゃんの家の前の路地をぬけると線路沿いに側道があり、それに沿うようにして大きな倉庫がいくつも建っていた。倉庫はとても大きく、ひとつがだいたい小学校の校舎くらいの大きさはあったように思う。
 倉庫には側道に向けていくつもの入り口があり、その入り口の上には大きなヒサシがついていた。僕らは入り口の横についているトイをよじ登ってヒサシの上へいき、そのヒサシの上でよく昼寝をしていた。家はせまいし、うるさかったので示しあわせて三人でゆっくりとした時間をすごしたり、叱られたときの逃げ場所だった。
 ヒサシの上に立つと腰の高さあたりに金網でフタをした小窓があった。僕らはこの金網の端を切って中に入り込み、自由に出入りしていた。突然の夕立や雪の降る日には、この中に逃げこむのだ。
 小窓の向こうは倉庫の中で、下へ降りられるようにはなってはいなかったが、たいがいは中に荷物がうず高く積まれており足場にするのには充分だった。荷物がないときにはトイにくくり付けておいた縄を倉庫の中に垂らして、これをつたって下へ降りていく。倉庫の中には照明はなかったけれど映画館で見るのと同じように、少しかわいた空気のなかを小窓から入る光が映写機の光線のようにホコリをゆらしてつき進み、積み上げられた荷物や倉庫の床を照らしだしていた。
 僕がもっと小さかったときに、ひどく叱られて泣きじゃくったまま倉庫の中に家出をして、眠ってしまったことがあった。そして、目を覚ましたときには倉庫の中は深い海の底のようにグランブルーのグラデーションをまとった別世界となっていて、あ然とした。